国に帰った私達を迎え入れてくれたのは暖かい民衆の声と私を見出した国王の笑顔だった。
盛大な式典が急遽開かれ、勲章を授与される。
しかし勝利の美酒に酔いしれる事はせず、私は一人城の図書館に籠もる事にした。
魔王だったとは言え、彼の言葉はどこか信じなければいけないような気にさせるものがあった。
だから近隣諸国の中でも随一の所蔵量を誇る城の図書館で調べる事にしたのだ。
目当ての物は3日後、ふと何気なく開いた書物の中で発見した。
ブロンドに蒼い瞳。色は違うが、まぎれもなく“彼”だった。
写真の脇に書かれた文字はどこかの当主という簡潔なもので、しかもそれは“彼”についてではなく、横に並ぶ男性についての説明だった。 恐らく彼はこの男性の息子か何かで、良い家柄の人間だったのだろう。
しかし何故そんな人間が“魔王”なんかになっていたのだ?
この疑問はすぐには解けなかったが、それから2日後、王の知り合いだという少女がやってきて全て理解した。
*
「コーリア、ここに居たのか」
ギギ、と音を立てて開かれた向こうには一国の王とは思えない気さくさのある我が王。そして傍らには年の頃14,5の少女。
「陛下。はい、調べ物をさせて頂いております」
素早く立ち上がり敬礼をする。それを構わぬ、と制して王はこちらへ向かってきた。
「何かお探しなのでしょうか?それでしたら……」
手伝わせて頂きますと、全てを言う前に聞き慣れぬ声が遮った。
「構わない。探していた物は既に出ているようだから」
茶色い髪を首筋辺りで束ねている、赤い瞳の少女。
ツカツカと私の方へやってきて、例の“彼”が載っていた本を持ち上げた。そしてパラパラと捲り、そのページを迷う事無く開く。
「この男を――知っているだろうか、コーリア=シュナイダル将軍」
紛れも無く、彼を指差して、そう言った。
私は少女と王の顔の間で視線を彷徨わせ、暫くの後首を縦に降った。
「――報告しておりませんでしたが、魔王と呼ばれる人物がその写真の青年の顔をしておりました」
しかし、と続ける前に再び遮られる。
「瞳の色が……違ったか?」
少女の眼差しの受け止め、頷き、
「貴女のような赤い瞳を、していました」
その言葉に「やはり」という声が聞こえ、すぐに「場所を変えても構わないか」と言った。声の主は、少女だった。
国王は深く頷き、許可が無いと入れないという図書館の地下へと促した。
コツコツと石段を降りる音が響く。
不気味な空間でランプの光だけが頼りのような心もとない場所だった。
「300年程前――」
少女が突然話し始める。先頭を国王、次に少女、しんがりを私が務めていたので身長の差だけでなく、下に見える頭を見ながら話を聞いた。
「世界中の魔物が突然凶暴化し、人や他の生き物に襲い掛かるという事態が起きた。やけに統率された動きをするのを不思議に思って詳しく調べると、“魔王”と言うに相応しい、リーダー核の魔物が突如出現し、魔物達を従えているのだという。
各地で起こる魔物による被害に人々は頭を抱え、次第に魔王退治をしなければいけない、という気持ちが生まれていった。
その時、どこかの国に騎士として務めていた一人の青年が居た。 彼は由緒正しい家柄の生まれで才能もあったが、騎士団に入るとそれは凡人に等しかった。
しかし魔王が出現した頃から突然腕が立つようになり、すぐに向かうところ敵無しとまで言われるようになった。
それを知ったその国の王は、彼なら魔王をも倒せるはずだ、と彼に“勇者”の称号を与え、魔王退治を命じた」
石段が終わり、暗闇の中に本棚がたくさん並ぶ場所に出た。
ランプの光では足りない暗さの中でも迷う事なく王は進んで行き、私達はそれに続いた。
「彼は王に命じられた通りに魔王退治に行き、見事倒して帰ってきた。喜ぶ民衆、命じた国王も勲章まで出して彼を称えた。勝利の美酒に酔いしれて平和な時を過ごせるのだと笑いあう――はずだったが、」
カタと音がしてランプが王の手を離れ、テーブルに置かれた。
それぞれ椅子に腰掛け、少女の話の続きを待った。
「10日後、勇者が姿を消した」
ごくり、と喉が鳴った。
「消えたとしか言いようが無い程に突然で、でも旅に出たわけでは無いのだという事がわかった。 彼が居たと思われる場所に、彼と同じ型の血液が大量に残されていたからだ。人体から全て絞り取ったかのようなおびただしい量の血を残して、生きているはずが無い、と誰もが噂した」
沈黙が場を支配した。
私は自分の心臓が早鐘のように鳴っているのを自覚していた。だっておかしいじゃないか、今少女がした話はまるで
「今の状況と瓜二つ――ですね」
王がポツリと言った。
そう、私が勇者と呼ばれ魔王と退治に行くまでの過程が全く同じなのだ。突然凶暴化した魔物、出現した魔王と呼ばれる存在、いきなり腕が立ち始めた、勇者と呼ばれている私。
ここまで同じことが、300年も前に起きていたなんて……?!
しかし私の動揺を知らず、少女がまた口を開く。
「実は600年前にも、同じ光景を見たことがあるんだ」
……え?
「900年前は見てないけれど、恐らく同じことが起こっていると思う。今回で確信したが、これは300年周期で起きているんだ」
淡々と続ける少女の言葉が理解出来ない。
こんな、14、5年くらいしか生きていないはずの少女が一体何を言っているのだろう?
今度は私の動揺が伝わったらしく、少女がこちらを向いて苦笑した。
「あぁ、すまない。自己紹介がまだだった」
そう言って手を差し出す。
「ルカと言う。別の世界から、時空を超えて旅をしている」
いや、逃げていると言った方が正しいかな? と付け足されたが、私はその手を凝視して、握り返すことが出来なかった。
「不審に……思われるだろうな、仕方ない。コイツも最初は全然信じてなかったし」
と王を見て笑う。
「この世には、この世界以外にも幾つも“世界”があってね。 それは何か薄い膜のような物で遮られていて、普通の人は絶対に気づく事なく日々を過ごしている。
私は、元居た世界で得た知識を基にして異世界を渡る魔法を作り、それで移動しているんだ。
ついでに言うと、私の生まれた世界にはすごく低い確率だけど“時を渡る”力を持った人間も居てね。それも加えて色んな世界の、色んな時空を渡り歩いているんだ。世界毎に時間の進み方も違ったりするからね」
そういうわけなんだ、と少女は笑う。
そして話を戻そう、そう言った。
「今回、実はシュナイダル将軍が魔王を倒すのを見ていた。魔王のマントの下に隠されていたあの顔は……間違いなく前代の勇者だった。
もしかしたら今回限りなのかもしれないが、前代の勇者は――“ヤツ等”に次代の魔王にされるのかもしれない」
“ヤツ等”。どこかで聞いたフレーズだ。
「首を縫われていたな。服で見えなかったが、恐らく両手と両足の付け根も同様の状態になっていると思う。体の中に血液は無く、勇者だった頃の記憶も消されていたようだった。彼の場合、将軍と対峙した時に思い出したようだけど。
何にしても、酷く胸糞の悪い話だ。どこまで馬鹿にすれば気がすむんだ、“ヤツ等”は!!」
バンッとテーブルが叩かれ、ランプが少し揺れた。
慌てて「すまない」と焦る少女に、私は尋ねる。
「申し訳ないが……“ヤツ等”とは、誰の事を指しているのか教えて頂けないだろうか?」
その率直な疑問に少女は再び「すまない」と言った。
「説明するのを忘れていた。――というか、これはまだ憶測に過ぎないんだが……それでも構わないか?」
私は深く頷いた。
「さっき、“この世”と言ったのを覚えているだろうか。幾つもの世界が存在する、それが“この世”だ。
それと他に、天界と呼ばれる層があって、そこに居るヤツ等が、“この世”を管理していると思われる。
俗に天使だとか死神だとか、そんな風に呼ばれておとぎ話に登場したりする事があるようだけど、結局は同じモノで“生と死”を司っている。
そんな天界のトップに数人の“神”と呼ばれる存在があって……コイツ等は最悪な事に“生と死”だけじゃなく、全ての“歴史”を管理しているようなんだ。 いや、管理なんておこがましい。 全て、この世は“ヤツ等”の思い通りに動かされている。ただ、教科書に書かれた歴史をなぞるように、この世の多くの人は“ヤツ等”の書いた物語を演じさせられているんだ。
そして今回の事も――恐らくはゲーム盤のような物の上で、300年に一度興じられる遊びなのだと思う。
魔物を凶暴化させた上で、勇者という人間を誕生させ、魔王というボスを退治させるゲーム。
いつから勇者を連れ去って魔王にしているのかは知らないが、それさえも演出の一つなんだろう。
たぶん天界のヤツ等に勇者の抹殺を命じて、次のゲームが始まった時に無理やり命を吹き込んで魔王に仕立てている。瞳の色が違うのはこの時に変えられているんだろう。――ヤツ等、悪者には赤い瞳をつけるのが好きなようだから」
彼と同じような赤い瞳を持つ少女は言った。
「だから」
そして私の手を強く握る。
「次は貴女が殺されるかもしれないんだ、将軍」
*
少女・ルカと話をしてわかったと確実に思える事はただ一つだった。
それは私がじきに殺されるという事。
恐らく魔王だった彼が最後に言い残した10日後、というのがそれなのだろう。国に帰ってきてから既に5日が経っている。だから5日後、何かが私を殺しに来るのだ。
死ぬのが怖くないかと問われれば怖いと言うだろう。既に身寄りは無いが、親しくしてくれている友人達が居る。そして私を高く買ってくれている国王も。その人達との永遠の別れが怖くないはずが無かった。
ルカは私を別の世界へ連れて行って、“ヤツ等”の予定を狂わせる事が出来るかもしれない、と言っていた。
けれどそれは何だか無理な気がした。
だって私は既に魔王を殺してしまっていたから。
狂わすには根本からやり直さなければダメだ。魔物の凶暴化も、魔王の出現も、勇者にされる事も、全てをひっくり返して解決出来ないようでは、些細な失敗だったと、“ヤツ等”はまた300年後に繰り返すだけだろう。
だから既に物語の大半を演じ終えてしまった私では無理だ、と感じていた。
運命だとか、そういう物が本当にあるとは信じていなかったけれど――現実は空想よりもずっと厳しくて、酷い。
私が生まれてから20数年。いつだって自分が思った通りに行動してきたと信じていたのに、それが既に決められていた事だったとは。
全く、笑うしかない。
だけど最後まで演じきるつもりは無かった。
“ヤツ等”に一泡吹かせてやらなければ気がすまない、というのは勿論あるが、何よりも次代の勇者に私と同じ道を辿らせたくない。
私は筆をとった。
そして真新しい日記を開く。
一ページ目、書き入れる言葉はこうだ。
『後世の者よ、私は勇者と呼ばれた身である』