[ 13 ] 嫌みの一つも言えるらしい。
「わかったような口聞かないでください!」彼は苦痛に満ちた表情で、そう言った。
少女はその言葉を受け取ると、やはり辛そうな表情で返す。
「わかるよ。これでも……魔術師の一人なんだから」
十分にわかってるんだから、と付け足して。
すると彼は嘲るように笑った。
「あぁ、そうでしたね。魔術師サン」
そして、
「それは嫌味ですか、“魔術師”でも何でもなかった僕に対しての。なるほど、お偉い魔術師サンはどんな状況でも嫌みの一つも言えるらしい」
と、言った。
少女は彼の放った言葉を受け取りたくなかったのかもしれない。けれど、それが頭の中に入って、意味を理解すると……込み上げてくる怒りを治める事が出来なくなっていた。
「アンタ、それ本気で言ってんの?」
「えぇ、勿論。まぁ、到底僕には分かりませんけどね貴方達の事なんて」
肩を竦めて、彼は。
そう、言った。
* * *
事の始まりはとても些細な会話から。
「メイリン、俺は最近思う事があるんだが……」
修行の合間の一休み。縁側で涼をとっていると師匠がそんな事を言い出した。
あたしはその次に出てきそうな言葉を連想して、深く頷く。
「あたしも。……なんかねぇ、こう、もやもやっとした物があるんだよねぇ」
ふぅ、と同時に溜息。
横の彼の顔を見上げると、たぶん今のあたしと同じような表情。
そして同じように口を開いた。
「やっぱり、アイツはエステアの事が好きなんだろうか?」
「やっぱさ、黒子ってばエステアお姉ちゃんの事好きなんだろうね」
……。
……ほら、ね。やっぱり同じ事考えてた。
「ううー、そっかお前もそう思うか……ったくどうしたものかなぁ」
師匠は額に手を当てて考え込んでしまった。
あたしも腕を組んで思考にふける。
ちなみに“アイツ=黒子”とは、あたし達と一緒に暮らしているヒトで、一応師匠の知り合い……ていうか世話係という事になっているヒト。
実質は師匠と“契約”を交わした、“元人間”。今は年も取らない、成長を止めた“非人間”。
――基本的にはあたし達と一緒だ。
「アイツに好きな人が出来るとはなぁ……うーん、困ったものだな。相手は普通の人間だぞ?俺のようにはいかないんだ」
隣でボヤく師匠。あたしはそれに相槌を打つように頷いた。
「ホントにね。てかさ、それよりも問題なのは黒子はそれがマズい事だって知ってる、って事だと思うけど」
そう、それは“マズ〜い”事だった。
……「もう一杯!!」……では無いけれど。
基本的にあたし達は人間では無い。
人間とは、いや、生き物とは何がどうであれ、成長していつかは死ぬものだ。
しかしあたし達にはそれが無い。
何かが変わる事が無いというのはそれがあるヒト達にとっては恐怖でしかないもので、それはすぐにでも暴力と殺戮の感情に変わるのだ。
だからあたし達はいつも“人間”達とは深く関わらないようにしていた。
勿論例外は居る。
フレアさんトコのジャックや馬鹿リランの奥さんのレア、アルのトコだって、リーテスのトコだって。それなりに周りは人間だ。でもそれは本当に例外で、本来ならば関わる筈の無かったヒト達なのだ。
いや、関わってはいけないヒト達、だったのだ。
あたし達は普通のヒトから見れば恐怖の対象で。
いつも身元がバレるとすぐにそれぞれの国のお偉いさんから命を狙われる。……まぁ、“命”は狙われても死ぬことは無いからあんまり関係ないんだけどね。
関係があるのは、その時あたし達の周りに居たヒトだ。
あたし達を狙うお偉いさんは、他の事は気にしないであたし達の抹殺だけを考えてやってくる。その為にどれだけの街が焼き払われようとも、どれだけの人が命を落とそうとも知ったこっちゃないのだ。
現に、ジャックもマジュも――黒子のアイツだって、そうやって命を落としたのだから。
* * *
「……それにどうしよう、たって、あたし達に何か出来る事なんてあると思ってんの、師匠?」
その言葉に師匠はまたもうーん、と唸ってしまった。
あたしは本当にどうしたものか……と考えて。
そして、頭の奥底にあった一番やりたくない選択肢を引っ張り出す事にした。
「ねぇ、師匠」
「ん?なんだ、良い案でも見つかったか?」
ぺかーっとお日様のような笑顔をしてこちらを向く。……全く、何てバカそうな面なんだか。等と思ったが、それは言わないことにして、っと。
「いや、良い案では無いんだけどさ。エステアお姉ちゃんの方はどうなのかな?って思って」
「あ?あぁ……そうだな」
どうなんだろう、と師匠は顎に手を添えながら呟いた。
あたしはそんな師匠を見ながら、とても嫌な事を口にする。
「もしお姉ちゃんが黒子の事好きなら良いと思うよ。ホントに、全部知ってもついてきてくれるっていうんなら。それで黒子も自分が置いていかれても耐えられる、っていうんなら……ね」
師匠が口を開けるのがわかった。
でもそれを遮る。
「でもそれが出来ないんなら、やめた方が良いと思う。あたしは――全てが、リランとレアのように上手くいくとはとても思えないから」
* * *
そして冒頭に戻る。
いや、正確には、冒頭のその前に。
「ねぇ、黒子ーちょっと話があるんだけどっ」
メイリンに扉の向こうからそう声をかけられた。
僕は「何ですか?」と言って、扉を開ける。
「えへへー、ちょっと、ね」
彼女は通した部屋の隅にあった椅子に腰掛けた。僕もまたその椅子と対になるように置かれた椅子に腰掛ける。間にあるテーブルにさっきまで読んでいた本が置かれたままになっていた。
「まったく、今は確かティカさんとの修行の時間ではなかったですか?お許しは出ているんでしょうね、まさかサボっているワケではありませんね?」
「勿論!これは師匠からの頼みでもあるんだからね!安心したまい!」
メイリンは胸を張って答える。僕はその言い方に小さく笑う。
「それならいいんですけどね。……あ、紅茶がいいですか?それともコーヒー?」
席を立ってお茶を用意しようとすると、メイリンに引き止められた。
すぐに終わるから、と言われて。
そして開口一番。
彼女は、率直に……実に率直に、それを口にした。
「黒子はさー、エステアお姉ちゃんの事、好きなの?」
……。
「ちょっと聞いてる?好きなのか、って訊いてるんだけど」
……。
「って、ええええぇええぇ?!」
ガタンッと音を立てて椅子が倒れる。
でもそんな事、気にしている場合ではなかった。
「す、すす、好き?! いっ、いきなり何を言い出すんですかメイリン?!」
自分でも本当にものすごいうろたえようだと思う。そんな僕を見てメイリンは笑う。
「ふーん、やっぱり好きなんだ。へぇー、そぉ、黒子がねぇ」
そして椅子から立ち上がると、倒れた僕の椅子を立て直し――僕の腕を掴んで囁いた。
「……でも、ダメだよ?」
一瞬、理解出来なかった。
「な、に言って……?」
「簡単な事だよ、黒子。アンタがお姉ちゃんを好きでも、向こう側とはやっていけないって言ってんの。ね、わかってんでしょ?」
縋り付くように僕の腕を掴むメイリン。
僕はそれを解く事もせず……いや、出来ずに呆然としていた。
「ねぇ、黒子。辛い事だってわかってるけど、ここでやめないともっと辛いんだよ?それにさ、もしエステアお姉ちゃんと両想いだったとしてもだよ?いつかは、絶対に別れなきゃいけないんだよ。それとも――お姉ちゃんに、“人間をやめて”とでも言うつもり?」
人間を やめる。
つまりは、僕達と一緒に永遠を生きて貰う――という事。
その言葉に我に返る。腕を掴んでいたメイリンを振りほどくと、無意識に僕はその場から一歩下がった。
「何を……言うんですか、メイリン?ば、馬鹿ですねぇ、僕がそんな事……そんな、事……」
言うはずが無い、そう言おうとしたけれど、言えなかった。
――そうとは言い切れなかった。
昔の事を思い出されたからだ。そう、昔僕はこれと似たような体験をした事があった。
まだ小さい頃の僕とティカさん。離れ離れになりたくなくて、だだをこねた。そして結果的には、離れる事にはならなくて。代償は払った……それで、僕は人間をやめたんだった。
「そんな事? 言うよね、きっと。だって、セシアはそーいう人間でしょ。もう誰とも離れたくない……ってね。ましてや好きになった相手は、離れるくらいなら壊してでも手元に置いておきたいと思ってるんじゃないの」
嘲るように放たれた言葉。
まだ続けようとするメイリンを、僕は思わず遮った。
「わかったような口聞かないでください!」
泣きそうだった。
そう思っていた部分もあったから、余計に。
一緒に居て欲しい……図々しくて嫌になる程そう思ってる。
誰とも離れたくない……そんなの当たり前だ。
嫌、だなんて言われて、僕の元から居なくなるくらいなら――
言葉を失っていた僕に、メイリンは辛そうな顔をして言った。
「わかるよ。これでも……魔術師の一人なんだから」
十分にわかってるんだから、と付け足して。
それを聞いた途端、僕は自分が酷く冷静になっていくのを感じた。
冷静?……いや、違う、冷たくなっていくのを、感じた。
「あぁ、そうでしたね。魔術師サン」
自分の声じゃないみたいな声。
「それは嫌味ですか、“魔術師”でも何でもなかった僕に対しての。なるほど、お偉い魔術師サンはどんな状況でも嫌みの一つも言えるらしい」
少しの間を置いて、メイリンが答える。
「アンタ、それ本気で言ってんの?」
「えぇ、勿論。まぁ、到底僕には分かりませんけどね貴方達の事なんて」
僕は肩を竦めて、そう返した。
酷い事を言ってるというのはわかっていたけれど、もう止められなかった。
「生まれたときから、そういう風になる事を決められていた貴方達はいいでしょうよ。例え今の僕みたいな事になっても、その“力”でどうとでも出来るんですし。
でも僕は違う。――普通の人間だったんです。普通に生まれて、普通に過ごして、普通に死んでいく、そんな普通の……ごくごく普通の人間だったんです!!
でも突然こんな、気味の悪い身体にされて。元々あった魔力だって、全て失われてしまって。自分一人じゃどうする事も出来ずに、ただ貴方達魔術師に頼って生きていかなきゃならない状況にされて!」
はぁ、はぁ、と肩で息をする。
目の前のメイリンはただ、呆然と立ち尽くしていた。
「僕は……こんなワケのわからない身体になんてなりたくなかったっ。今だってこれが原因で上手くいく事も、上手くいかなくなってる。
もし――もし、エステアさんにこちらに来て欲しい、って言っても僕にはどうしようもないんですよ?貴方達魔術師7人全員の了解を取って、ティカさんに、やって貰うしかないんですよ! それに了解を得られなかった場合は、僕はどれだけそれを望んでも絶対に叶わないんですから。
所詮僕は……僕“達”は、魔術師の手の上なんです。貴方達の了解を得ないと何一つ出来ない、子供みたいな存在なんです。
それなのに――“魔術師”の貴方に、僕の何が、理解るって言うんですか!!!」
僕の目から雫が溢れるのと同時に、メイリンの目からも涙が出ていた。
普段なら彼女が泣いてるとすぐに慰めてあげるのにな、なんて他人事のように思った。
コン コン
不意にノックされる扉。
僕は流れ出る涙を拭って、そちらへ向かった。
「はい?」
扉を開けると、そこにはティカさんが居た。
怒ってるような、泣いてるような、複雑な顔をして。
「どうしたんですか、ティカさん。何か用事でも?」
そう言うと「バカ」、と頭を小突かれた。
「お前等声デカすぎるんだよ。そんなに大きい家じゃないんだ、全部丸聞こえだったぞ」
顔が強張った。この人には、聞かれたくなかったのに。
でもそんな僕を他所に、ティカさんは部屋に入ると泣いているメイリンを引き寄せた。
「悪かったなメイリン。俺が行くべきだった」
「……っく、ううん……あたしがっ、勝手にした事だもん……」
そしてそのままメイリンを抱き上げると、僕の方へやってきてこう言った。
「セシアも悪かったな」
「い、いえ……」
僕は気まずくて、顔を下げた。
するとティカさんは大きく息を吐いて、その後に続けた。
「正直」
顔を下げたままだったから、ティカさんがどんな表情をしているのかわからなかった。
けれど、辛そうな声だった。
「正直、お前にそんな風に思われてるとは……全然思ってなかった。ちょっとショックだったよ、俺は。お前をそんな身体にしたのも、こんな状況に追い込んだのも全部俺で、本当にお前にはすまなかったと思っている。
それでもあの時から今まで、俺達は上手く行ってると思ってたから、お前も大して気にしていないのかと……。思い込んでただけみたいだったけどな」
思わず顔を上げる。
泣き笑いみたいな表情が目に入った。
「でも、これだけは覚えておいて欲しい」
「……な、何をですか?」
ティカさんは真剣な口調で、先を続ける。
「今の状況をお前が一度は望んだという事。それに、あの時その身体になっていなければ、エステアには会えなかったという事だ」
「なっ!?」
「だってそうだろう?あの時俺は離れた方が良いと言ったのにそれを嫌がった。そしてその結果、そんな身体になったけどエステアと会えた」
言葉も無い僕を尻目にティカさんはメイリンと共に部屋を出た。
去り際に一言残して。
「あと一つ、これは絶対に忘れるな。
“魔術師”だって、お前だって――他のヤツ等と同じ“人間”だって事を」
* * *
閉められた扉を見ながら彼は呟いた。
「……わかってます、理解ってますよ」
拭いきれなかった涙が、一粒落ちた。
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