台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題
[ 90 ] 据え膳食わぬは何とやら。

 俺は今、人生の岐路に立たされている。と、そう思う。
 目の前には無防備な寝姿を晒している想い人。
 その部屋には他に誰も居なくて、かつ、その部屋を有する家にも俺達以外、誰も居なかった。
 つまり――二人っきりだと言う事だ。

 ……いやいやそんな事改めて言わなくてもとうの昔に理解している。
 だって、俺がこの家に来たときにおばさんが「あらー、丁度いいところに。おばさんちょっとお出かけするからあの子の事頼むわねー」と言って出て行った時から二人っきりなのだから。
 いやいや、でも待て。その時にはまだわかっていなかったハズだろ。
 いつも通り、階段を上がってあの子の部屋のドアをノックして――返事が無いのもいつもの事だ――、とりあえず罵声が飛んでこなかったのでそろーりとそこを開けたワケだ。
 そしたら大抵向かっている机の所には居なくて?あれ、トイレ?
 なんて思って視線を動かしたらば、ベッドの上に居たわけで。
 んで、寝てたワケで。

 で、冒頭に戻るわけで。

 普段三つ編みにしている髪はほどかれてふわふわウェーブがベッドに広がっている。寝ているから眼鏡だって外されて、目こそ閉じているものの可愛い素顔がよく見える。
 ……最近、また可愛くなった気がする。
 そんな事を思いながら、俺はベッドの脇にひざをついた。中腰体勢というヤツだ。
 そろりと手を伸ばして、でも途中で引っ込めた。触ったら、なんか、こう――止まらなくなる気がする。
 いやいやいや!でも、だ!昔から言うだろ、据え膳食わぬは何とやら。つまりここで襲ってみせなきゃ男が廃るってもんで!!!
 ――訂正、襲うってのは言いすぎだな。
 でもちょっとほっぺた触るとか、髪の毛撫でるとか、そういう事くらいはしてもいいと思うんだよ!!
 ……と思いつつも手が震えてなかなかそこまで至らない。
 何を――こんなに怯えているのか、と自分でも呆れるくらいだ。

 咲ちゃん――あぁ、今ここで寝ている子の事だ――は本当に綺麗になってきている。惚れた自分だからそう見える、とかそういうんじゃなくて。ほら、女の子にはある一時を過ぎると一気に可愛くなるよーな時あるだろ。……たぶん、あるから。まぁ、そんな感じ。
 俺が初めて会った時はまだ高校生だった咲ちゃんも、今や大学生だ。時の流れってのは速くて、そしてちょっと残酷だ。
 咲ちゃんが年をとったという事は必然的に俺も年をとっているわけで。
 ……つまり、どんどんおじさん化してってるわけで。

「はあぁぁ……」
 ベッドに伸ばしていた手を引っ込めて、そのまま額に持っていく。大きなため息と共にガクッと頭を落とした。
 もし同じ年だったら、なんて妄想はしていないと言ったら嘘になる。
 でも俺は年の差なんてあんまり気にしないし、むしろ親戚というステータス持ちなので同級生なんかよりは近い存在だ――と、勝手に思ってる。……家も隣だし。
 けど最近それだけじゃ足りないんだ。

 今まで彼女に抱いていたのは多分淡い恋心だけだったんだろうと思う。それには一緒に居ると嬉しい、楽しい、愛しい……そんな正方向の感情しか発生しないものだった。
 でも今は違う。
 勿論、今まで感じていた感情も持ち合わせている――けれど、それに辛さが、哀しさが混じり始めたのも確かだ。
 嬉しいはずなのに哀しい。そんな胸の痛みを感じるようになった。
 きっとそれは……俺が好きでも、……彼女にそういう対象として見られていない事を知っているからだと思う。

 5つ年上の親戚のお兄さん。
 これが俺の咲ちゃんから見たポジション。ついでに言うと、たぶん「時々というかいつも変な事を口走っている変な人」とも思われていると思う。……悲しいけど。
 そしてそんな変なお兄さんは、彼女の中では「それ」止まりで。
 俺がどれだけ好きと言おうと、愛していると言おうと、決してそこからは動かないのだろうと、……思うからこその胸の痛みなのだと思う。

「はぁ……」
 再びため息。
 額についた手は下ろし、俺は中腰体勢から肩ひざを立てた座り方に変えていた。
 さっきよりも若干近い距離で彼女を見る。
 せめて――せめて、同じ年だったら……そういう対象で見てくれていたんだろうか。
 また痛くなる胸を押さえて思った。
 手は、何だかもう――伸ばせなかった。

 *

 しばらくそうして寝顔を眺めていたのだが、
「んん……」
 という可愛い声と共に寝返りをうったので、俺は慌てて立ち上がった。
 今まで勝手に部屋に入った事はあるものの、流石にこのシチュエーションはヤバそうだ、と思ったからだ。
 結局手は出さなかったとは言え、ある意味寝込みを襲ったようなもんだ――バレたら、一体何と言われるのやら。いや、それ以前にもう口をきいてもらえなくなるかもしれない。「変質者ときく口は生憎持ち合わせておりませんので」とか。……あああ、マジで言いそうだよ。
 兎に角そんな最悪の状況だけは避けなければいけない!

 という事で、俺はすっくと立ち上がり、音を立てない程度に早く動き、ドアをそーっと開け、そーっとそーっと……閉めた。
 ふひー
 思わず額の汗(本当に出ているかは大した問題じゃない)を拭って一息。
 ……これでこんなにビビってんだから、据え膳どうのこうの言えるハズが無いわな。

 俺は情けないなぁと思いつつ、これまたそーっと階段を下りていった。
 おばさんに言われた留守番は下の階でさせて貰う事にしよう。



 * * *



 ぱちり、と目を開けた。
 見慣れた天井が視界に入る。
 それから顔だけ動かして部屋の中を見た。――居ない。
 顔が、一瞬で赤くなるのを感じる。
「な、何考えてるのよ……」
 火照った頬を押さえて私は呟いた。

 本当は、彼が部屋に入ってきた時に目が覚めてしまっていたのだ。
 でもなんとなく狸寝入りをしてやろう、ってそう思って起きなかった。
 寝ている私を見て彼がどういう反応をするのだろうかと……ちょっとした悪戯心のようなものが働いたのだ。
 いつものような軽いノリ――愛しの咲ちゃん朝ですよー!とか――で起こされるんだろう、そう思っていた。それか、そのまますぐに部屋を出て行くか。
 でも、どちらも違った。
 苦しそうなため息。
 そして熱い視線。――目を閉じていたせいか別の感覚が鋭くなって、そう感じてしまったのだけど……きっと間違いでは無かった。

 *

 雄介さんはちょっと遠い親戚にあたる人で、私より5歳年上だ。
 偶然うちの一家が隣に越してきた所から私達の関係は始まった。
 最初は私の眼鏡がどうのこうのとイチャもんをつけていたのだけど、その後彼は何を思ったのか私を好きだのなんだのと言い出した。
 正直、その時は鬱陶しいだけだった。
 事あるごとに我が家に来ては私の部屋に入り浸りちょっかいをかけてくる。親戚のお兄さんだからっていちいちうるさいなぁ、と何度思ったことか。
 仕事についてからは随分頻度は減ったけど、それでも来て、そして私をからかっていた。
 からかいの文句は、今やもう聞き飽きた言葉で――好き、とか可愛いとか……愛してるとか。
 信じられなかった。最初が完全にからかいだったから余計にそう感じていたのだと思う。

 でもある時、外で雄介さんを見かけて、一気に自分の中の感情は変わった。

 どういう関係なのか、はたまた関係など全く無い通りすがりに近い人なのかはわからないけれど――雄介さんの隣に、女の人が居るのを見てしまったからだった。
 思えば雄介さんとは自分の家か、もしくは隣の家でしか会った事が無い。話す内容はいつも私から見ればからかいのようで、大抵はこちらから会話をやめてしまう。
 だからあんな風に笑いあうような事も無いし、隣を並んで歩く事も無い。それにもし歩いたとしても……妹に見られるのがオチだ。
 私は踵を返してその場から立ち去った。
 けど二人の様子が脳裏から消えない。雄介さんの笑顔が消えない。当たり前なのに、――私以外にもあんな風に笑いかけるのかと思うと、泣きそうになった。
 もしかして――私以外にも、「好き」とか「愛してる」とか言ってるのかもしれない――そう思った時には、もう泣いてしまっていた。
 そこまで来てようやく気づいたのだ。

 私はいつの間にか彼の事を好きになっていたらしい。

 *

 起き上がってベッドに腰掛ける。
 自分の気持ちを自覚してからというもの、彼の「好き愛してる」攻撃には少なからず動揺したものだったけれど……今回は、そんな言葉が一つも含まれていないのに――今までの中で一番心臓に悪い気がした。
 多分もうずっと前からわかっていた。彼の言葉が本気だという事を。
 でもどこかで信じられない自分が居て、……いや、もうダメだ。あの視線を受けてしまって、あの辛いため息を聞いて、それが全てからかいだなんて思えない。
 思いたく――ない。

 わざと音を立てるようにしてドアを開けて階段を下りる。
 リビングに行くと雄介さんはテレビを見ていた。どうやら再放送の二時間ドラマらしい。
「あっ、咲ちゃん。お邪魔してるよ〜」
 ひらひらと手を振ってくるので、小さく頷きを返した。
 眠気覚ましも兼ねてコーヒーでも淹れよう。
 そう思ってソファの後ろを通る。
 その時、
『好きです。愛してるんです!だから僕は貴女のためなら何だって出来た!!!』
 ……そんな台詞が、部屋の中に響き渡った。――どうやら、勘違い男が想い人のためにと思って勝手に殺人を犯していたらしい。
 ――好き、とか愛してる、とか。
 “お話の中の陳腐な台詞にしか聞こえませんね”と以前言ってしまった事がある。
 でも今ならわかる……あれはフィクションから抜き出した台詞なんかじゃなくて、雄介さん自身の言葉だったんだろうって事が。
 思えばそれ以外にも私はなかなか酷い事を言っている。最も信じていない時だったのだから仕方ないんだけど。
 まぁ、でもこっそりとそういう時の謝罪をこめて――彼にもコーヒーを淹れてあげようかな。
 そう思ってキッチンに入る、
「あ、咲ちゃん」
 前に、
「さっきこっそり上行って寝顔見ちゃったwやっぱり可愛いなぁ咲ちゃん。俺は眼鏡の咲ちゃんも好きだけど、ナシの方も好きだよ!!」
「っ!!」
「いやー、あんまり可愛いから寝込み襲いそうになったよ。ホラ、据え膳云々でさァ。でもしっかり者のお兄さん心としてはそれだけはまじぃってなってね〜。だから襲うのは起きてる時にするね!」
 ソファから身を乗り出してニヤニヤ言ってきやがりましたよこの人は!!!!!
 わなわなと体が震えるのがわかる。勿論、この感情は――怒りだ。
 さっき上であんな辛そうにしてたのは嘘だったってわけなの?!
「……雄介さん」
「うん?なーに、愛しの咲ちゃん」
「もし良かったらと、コーヒー淹れてあげようかと思いましたがやめる事にしますね」
「えっ」
「茶色い液体が飲みたいのなら絵の具を溶かすか、泥水でもすすっていてください」
「え゛っ」
 ぷいっとキッチンに入ると、間髪入れずに
「嘘ウソ!冗談だよ、咲ちゃーん!!」
 と弁解に来たけれど、総無視してやる。

 雄介さんの言動をいまいち信じられなのは、こういう事をするからだって、いい加減気づいたらいいのに!
 一人分のコーヒーを淹れながら、私は心の中で思ったのだった。
実は両想いでしたというオチで。ツンデレではないです。念の為。

2010.9.2.